息子が学校で受けた出来事をきっかけに、「体罰」という言葉を深く考えるようになった。
受けた体罰の一部について、先生は「励ましのつもりだった」と言う。けれど、子どもにとって残ったのは、「叩かれた」という事実のみだ。


体罰とは何か

体罰は法律で明確に禁止されている。
これは感情や指導方針の問題ではなく、法が定める明確な線引きである。

「校長及び教員は、教育上必要があるときは、児童生徒を懲戒することができる。
ただし、体罰を加えることはできない。
(学校教育法第11条但書)

文部科学省の通知(平成25年4月10日 文科初第263号)では次のように説明されている。

「体罰とは、教育上の指導目的を有していても、児童生徒の身体に対し、直接的又は間接的に苦痛を与える行為である。
例えば、平手打ち、殴る、蹴る、正座を長時間強要するなどが該当する。」

さらに、児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)第2条は、
児童の心身に有害な影響を及ぼす行為を「虐待」として禁止している。
令和元年の改正以降、親権者や教育関係者による体罰も明確に違法とされた。


「励ましのつもり」が体罰になるとき

体罰かどうかを判断する基準は、「先生の意図」ではなく「子どもがどう感じたか」にある。
教育の名のもとであっても、子どもが痛みや恐怖を感じたなら、それは体罰である。

叩かれたことを「自分が悪かった」と思い込む子どもも多い。
その自己責任感こそが、体罰の最も深い傷になる。
教育は痛みを伴うものではない。
痛みで従わせる指導は、教育ではなく暴力である。


体罰が子どもに残す影響

体罰の痕は、目に見える傷よりも、目に見えない形で残る。
わが子の場合も同じだった。
最初は一時的なショックと思っていたが、日を追うごとに朝起きることが難しくなった。
「行きたくない」ではなく、「体が動かない」。
その違いを理解するのに時間がかかった。

医師の診断では、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の懸念があるとされた。
定期的な経過観察が必要であり、学校で起きた出来事は、子どもの中で今も進行形のまま続いている。

体罰が残すものは、痛みよりも「信頼していた大人に叩かれた」という記憶である。
その記憶が、子どもの自己肯定感や学校への安心感を根こそぎ奪う。


体罰をなくすために必要なこと

体罰は「しつけ」や「指導」という言葉では正当化されない。
教育現場に求められているのは、懲戒と暴力の境界を明確にし、子どもの尊厳を守る教育を行うことに尽きる。

保護者の側にもできることがある。
子どもの小さな変化を見逃さないこと。
「なぜ行きたくないのか」「どんな気持ちだったのか」を、判断せずに受け止めること。
記録を残し、声を届けることが、再発防止の力になる。


子どもの尊厳を守る社会へ

体罰をなくすということは、単に「手を出さない」という話ではない。
それは、子どもの尊厳を守る社会を築くということだ。

学校も家庭も、子どもが安心して呼吸できる場所でなければならない。
体罰を「してはならないこと」として、すべての大人が同じ理解を持つ社会。
その実現が、教育の信頼を取り戻す第一歩である。


参考法令・資料出典

  • 学校教育法(昭和22年法律第26号)第11条但書
  • 文部科学省「体罰の禁止及び懲戒に関する指導の徹底について」(平成25年4月10日 文科初第263号)
  • 児童虐待の防止等に関する法律(平成12年法律第82号)第2条
  • 厚生労働省『体罰等によらない子育ての推進について』(令和2年)
ABOUT ME
みかん
子育て中の母親。みかんが好き。子どもが学校で受けた体罰をきっかけに、ひとりの親として経験したことを記録しています。「学校と戦わない姿勢」を心がけていますが、気持ちは常に戦っています。日々は穏やかなのが一番。