学校は、誰が何を把握しているのか ー体罰発生から6日目ー
前日の自宅訪問で録音した音声を、翌日あらためて聞き返した。
そして、その内容を第三者にも聞いていただいたうえで、我が家として何を求めているのか、学校へ何を伝えているのかをもう一度整理した。
その中で出てきたのは、やはり同じ疑問だった。
学校は、どこまで事実を把握しているのか。
校長は、どこまで正確に共有されているのか。
学校教育課は、何をどう聞いているのか。
そして、誰がどの段階で、何を「体罰」と認識しているのか。
自宅訪問の場で聞いた話と、その後に外から聞こえてくる話とに、少しずつズレがあるように感じていた。
学校教育課への抗議
この日、櫻井さんが学校教育課に足を運び、学校の初動対応の遅さや不透明さ、情報共有のあり方について話をしてくれた。
私たち家族としては、自宅訪問で何が話され、どこまで認められ、何が今後の課題になっているのかを、関係者の間で正確に共有したうえで進めてほしいと思っていた。
けれど、外から見える動きはどうにも曖昧だった。
校長は最初の自宅訪問に同席しておらず、教頭から聞いた内容で状況を把握しているようだ。
教育長からは、校長から「家庭訪問で新しく分かったことがあり、対応を協議している」と連絡があったという話があったそうだ。
一方で、指導主事からは「体罰を認めたのですか」と確認があったとも聞いた。
その話を聞いて、ますます分からなくなった。
情報共有の不透明さ
自宅訪問では、少なくともその場で出た発言ややり取りの中に、重要なポイントがいくつもあった。
それなのに、校長、学校教育課、指導主事、それぞれがどの程度の温度感で、どの内容を把握しているのかが見えてこない。
自宅訪問のとき、教頭先生はメモを取っていたように見えた。
それでも、その後に外へ伝わっている話を聞く限り、内容が正確に共有されているようには思えなかった。
必要があれば音声も提供できることは伝えていた。
けれど、その時点で依頼はなかった。
もちろん、音声を受け取るかどうかは相手の判断だと思う。
ただ、事実確認を進めるうえで必要な情報があるのに、それを積極的に確認しようとする動きが見えないことには、どうしても疑問が残った。
聞きたくないことは聞かない、という姿勢ではないと信じたい。
でも、そう感じてしまうほどには、情報の扱いが曖昧に思えた。
こういう時こそ、学校内だけで話を回すのではなく、保護者とも共有しながら進めていく方が健全なのではないかと思う。
今、誰がどんな情報を持っていて、どう認識していて、今後どのように確認していくのか。
そうしたことを、保護者に対しても見える形で進めていく。
その方が、少なくとも不要な不安や疑念は減るはずだ。
聞こえてきた噂
ところが、この時点で、学校関係者らが「頬をつかんだだけでしょ」「大げさ」といった受け止め方をしているらしい、という話まで保護者の耳に入る状態になっていた。
これはあくまで、うわさとして耳に入った話だ。
だから、それ自体を断定するつもりはない。
ただ、そういう言葉が外に漏れ、保護者の耳に届くような空気や言い方があったのだろう、ということはわかる。
そして、事実確認もまだ十分にされていない段階で、しかも保護者への正式な説明もないまま、そのように軽く受け止められているのだとしたら、本当に残念だと思った。
学校側の感覚
もし「生徒が理由なく叩かれた可能性がある」という話が持ち上がったときに、それをまず重く受け止めるのではなく、「その程度のこと」「大げさ」といった方向に流してしまうのだとしたら、それは教育に関わる立場としてどうなのだろうと思う。
しかも、それが公務員という立場の人たちであることを思うと、なおさら気持ちは重くなった。
学校にも、先生たちにも、それぞれの「普通」があるのかもしれない。
日々忙しく、たくさんの子どもたちを見ながら、学校の中で積み上がってきた感覚もあるのだと思う。
でも、その「普通」が、保護者や子どもの感覚とかけ離れていたらどうなるのだろう。
連絡が遅いこと。
進捗を伝えないこと。
重大なことをまず内部だけで回すこと。
そして、十分な確認の前に、出来事を小さく受け止めること。
それらが学校の中で「普通」になってしまっているのだとしたら、そこにこそ問題があるのではないかと思った。
学校の、教員の「普通」って何だろう。
この日、そんなことを強く考えた。
保護者への連絡基準はないのか
少なくとも私たち保護者にとっては、子どもに起きたことを知りたいというのは、ごく自然なことだと思っている。
何から何まですべて把握したいと言っているわけではない。
保護者への連絡をする・しないどう判断しているのだろう。
どういった場合に保護者に連絡するのかは先生の独自判断なのだろうか。
ガイドラインはないのだろうか。
先生は判断に迷ったときに相談できる上司や機関はあるのだろうか。
私は、教員ではないが、仕事はしている。判断に迷ったら上司に相談して指示を仰ぐ。
今回の教員は、指示を仰いだのだろうか。
何があったのか。
誰がどう認識しているのか。
どう対応していくのか。
それを曖昧にされたまま、「ちゃんとやっています」とだけ言われても、安心はできない。
6日目は、学校の対応そのものだけでなく、情報共有のあり方や、教育に関わる人たちの感覚のズレについて、強く考えさせられた一日だった。
